引越、翌朝

2023.1.30 引っ越しをする

10日前に決まった物件に、当日まとめ終わった荷物を詰め込んだ

同居人と彼の知人がいなければ不可能だった

そもそも彼がいなければ引っ越しもしていない

半年前に仲良くなって、ベンチで語らっていたときは、まさかそのすぐ後ろのマンションに二人で住むことになるなんて思っていなかった

大きな神社へ滑り込み初詣をした

滑り込めてないかも

いや1月中ならセーフとしよう

目と鼻の先の神社にもお参り

菅原道真

頭が良くなってしまう

でもバナナを持ってくるのを忘れた

新しい生活が始まる

未来を思い描いて、それに沿うような自分や生活を形づくっていくために、家具を揃えたり物の配置を決めたりする

楽しみ

私はきっともうすぐ別物になってしまうから、この重要な変容の記録を残しておきたいと思う。

 

今日のキーワードは

送信

焦点

謎解き

だった。

 

久しぶりに9時間ほど眠った。今日の寝起き啓示(最近起き抜けに日常の意識では思いつかないような発想が飛び出すのでそれをこう呼んでいる)は、「私の本道を思い出す。そこから注意をそらさないように日常を過ごす。そのためのポイントは視覚を奪われないように、焦点を脳の奥に保つこと。その作業は散らばった気を自分の中心に呼び戻して、自己想起を発生させるときのプロセスに似ている」というものであった。

 

これを気をつけ、昨日よりは進歩的な一日を送ったが、たまに忘れたりした。

最近ゲームに嵌っているのだが、広告が入るごとにTOEICの勉強を必ず挟むというルールを自分に課していて、これがかなりそれ以前の生活と分けている感覚がある。つまり進歩である。

 

謎解きゲー・実績解除・行動・進捗

というキーワードも得た。これを尊重し、一日一つは自分の本道で駒を進めるような変化を人生に投与したいと思った。今日はオンラインのコミュニティもしくは勉強会のようなものに参加しようと思ったが、もう遅い(午前1時)ので、ブログを始めたことをこれに数えることにしよう。

占いが識る世界

占いが識る世界が正しいことを前提としても

 

もっと奥の世界で何が起こっているか

この世の苦難が、向こうでも苦難であるのか?

この世で安楽のルートを採ることが必ず正しいのか?

 

口座の数値一つを評価基準にするのなら

 

占い批判のような文章になってしまった。

私の趣旨は、

 

人間が本当の世界(?)に照らし合わせて選択をすることは可能か

 

ちがう

本当は何を言おうとしていたのだっけ

ここ数日の記憶

・バーで限界しりとりをして負けまくる。酔いのせいにする。

・アラウンドザワールドを作り、店長が喜び、私は少し申し訳なくなる。

・ポテトチップスを買って食べながら帰る。思ったより酔っていたらしい。

・起きたら絶不調で、仮病を使う。今日はお許しが出ていたので、ヨシ。

・インターネットで情報の過剰摂取をし、いま頭が重い。


数人でゲームをすることになる。私以外のみんながルールを知っている。軽く説明を受けるが、複雑そうなので途中で聞くのをやめる。ゲームが始まり、当然最初に脱落するが、始めからやる気がないので悔しくもなんともない。

っていうときの、ゲームの動作をなんの思考も通さずただなぞる感じが、高2くらいから私の人生に対する態度そのものになってしまっている。